2021-03-30 第204回国会 参議院 文教科学委員会 第7号
お恥ずかしい話なんですけど、私の地元もそうなんですが、多摩ニュータウンというニュータウン事業、一番国内で早くにやって、一街区に中学校一校、小学校二校という計画を立てて町開きをして、四十年も五十年もたっていろんな変遷がなったので、子供たちが減ってきましたよね。
お恥ずかしい話なんですけど、私の地元もそうなんですが、多摩ニュータウンというニュータウン事業、一番国内で早くにやって、一街区に中学校一校、小学校二校という計画を立てて町開きをして、四十年も五十年もたっていろんな変遷がなったので、子供たちが減ってきましたよね。
昭和四十五年ごろからニュータウンが建設をされ始め、京都府、奈良県との境に建設された平城ニュータウンは町開きから五十年がたちます。空き家が目立っております。競争力を持たない地域はますます人口が減っていく。若年層の人口減少によって学校の統廃合も進んでおります。 地域再生法というものが制定をされて、用途地域を見直す等々、自主的に知恵を出せば一段の住宅地の空き家解消にもつながっていくわけであります。
渡辺復興大臣には、被災地に頻繁にお入りいただきまして、そして、復興をなし遂げた地域の町開きや復興祭などにも御出席いただいております。 復興の光と影があるのであれば、当然、光の部分に、復興大臣が訪問したということでもっと光が当たっている、そういう状況ではないかなというふうに思っております。そのような印象を持っております。
奈良県においても、奈良市に平城ニュータウンと名づけられた、およそ数万世帯に及ぶ大規模住宅地がございますが、こちらも間もなく町開きから五十年を迎えようといたしております。 さらに、平成バブル期には、都心の土地価格が高騰し、開発の波が地方にも拡大をいたしました。このころの住宅も築三十年を迎えようとしております。 これらの住宅地に暮らす人たちは、定年を迎え、便利な都心に回帰する流れができました。
平成三十四年度下期の新駅の開業に合わせて、これら土地区画整理事業、あるいは市街地再開発事業によります工事がおおむね完了し、町開きが行われる予定と伺っておりますので、新駅開業のインパクトを的確に受けとめ、市北部の新たな拠点の形成ということが可能になるというように考えておるところでございます。
これに合わせて、浦添市では駅周辺の地域の開発計画というのが進んでおりまして、平成三十一年春には町開きをしようということで、先日も土地区画整理事業組合の設立総会も開催されました。
最後に、岩沼市に入り、菊地岩沼市長から、同市の防災集団移転事業について説明を聴取し、他の被災地に先駆け本年七月に町開きを行った玉浦西地区災害公営住宅を視察しました。
石巻線につきましては、本年三月の二十一日に、女川町が主催いたしました女川駅周辺の町開きとあわせまして、浦宿駅—女川駅間が復旧をいたしまして、全線で運転を再開いたしました。 仙石線につきましては、被災した東名駅、野蒜駅の両駅を内陸側に移設いたしまして、平成二十七年五月三十日に、高城町駅—陸前小野駅間が復旧をいたしまして、全線で運転を再開いたしました。
○竹下国務大臣 私も先日、女川の町開きに参加をさせていただきました。やはり子供たちは本当に未来だなということを痛感し、この子たちのためにも絶対に復興をなし遂げるぞと改めて決意を新たにした次第でございます。 お話にございましたように、集中復興期間、二十七年度で一旦区切りをつけなければならない、こう考えております。
さて、先月、三月二十一日には、竹下大臣、伊藤委員長も御出席された女川町の町開きがございました。全面開通された石巻線に乗る女川小の子供たちの本当にうれしそうな、屈託ない笑顔を見ていますと、本当にぐっと込み上げてくるものがございましたし、また、鉄軌道が開通するということで日常が徐々に戻りつつある、それを実感できる、本当にすばらしい催しでございました。
新築された女川駅も当日オープンをして、女川ではその日に、町開きと銘打って、観光施設となる温泉施設もオープンしたわけです。 私は当日のセレモニーに伺えなかったんですけれども、大変感慨深く思いました。ようやくここまで来たんだな、そういう思いであります。また、JR仙石線の方も順次全線で運行を再開する予定で、鉄路も、それから道路も急ピッチで進んでいるなというのを改めて実感したところでございます。
○竹下国務大臣 先日、女川町というところで町開き、町開きといいましても、駅とほんの周辺がわずかに完成しただけでこれからなんですが。
その後、新都心エリアでは、平成十二年に主要施設が完成して町開きが行われ、各施設の運用が開始されたわけでございます。 その防災関係の態様でございますが、特に、先ほど先生御指摘ありましたように、国土交通省の地方整備局などは業務継続計画を策定しております。
やはり、それぞれ地下鉄の経営がよくなることによって、当然それで利便性も向上しますし、先ほど触れましたように、沿線ではこの春に町開きも予定をしておりますので、そうした面では、東京メトロのより積極的な参画といったことを求めたいと思うんですが、この点は国交大臣、いかがでしょうか。
それには、町開きから約四十年が経過をしておりまして、先ほど御指摘ありましたように、ニュータウンから今やオールドタウンというふうに言われるようになってきておるわけでございます。本当に高齢化がどんどんと進んできておるわけでございます。
関西学研都市は、昨年秋に町開き十年を迎え、現在も産学官の連携の中、セカンドステージが展開されておりますが、しかし問題は、研究施設の整備が遅々として進んでおらず、整備用敷地の五三%しか埋まっていないということであります。
これが、右上の宮山台というのがございますけれども、これが開発されたのが、町開きが昭和四十二年の十二月。ですから、もう既に三十七年たったということになってきます。かなりそれぞれの団地が傷んでいる、町のリニューアルが必要だということで、さあ、これからどう手をつけていこうかということになってきております。
なぜこのような事態になったかといえば、町開き当初、余りにも入居を急ぐばかり、同じ世代、同じライフスタイルの人々を同じエリアに大量に入居させたからであり、そのときは、保育園が足りない、小学校が足りないと大慌てで対応しましたけれども、結果として、今日では、超高齢化の町が出現しているのが実態です。同世代で、入れかえが図られなければ、いずれこういう事態になることは予想ができたはずです。
そのような状況下にあって、早期に町開きをしようということで完成を急ぎまして、工事を小工区に分けて実施しました。結果として、比較的中堅の業者によるJV工事の区分が多くなりまして、現地がふくそうしたということもございました。 公団としては、工事中に仮移転が必要な譲受人の方々には従前の居住環境に近い公団住宅を提供するなどしまして、できる限り御不便を軽減するよう対策を講じております。
このため新都構想では、新都市の町開きまでには、軸となります中央新幹線について名古屋—大阪間を先行整備すること、また東海道新幹線と草津線の交差部に、既に整備構想のあります、仮称でございますが、びわこ栗東駅を設置し、そこから新都市まで約二十五キロの区間に新幹線を整備することが適切と考えました。
御承知のように、ことしの五月にはさいたま新都心が町開きをいたします。第四次首都圏基本計画ですか、いわゆる一極集中の是正と自立都市圏の形成として副都心と業務核都市が六十一年にできました、ちょうど私も県会議員でございましたけれども。
五月の五日には町開きが予定されているわけであります。建設省の関東地方建設局もこちらの方に入っていただくことになっているわけでありますが、そこに働く国家公務員が約六千三百人、将来的には総就業人口が五万七千人の新しい都市が誕生しようとしております。 総事業費は二兆円に及びまして、経済波及効果は五兆五千億円とも試算されております。まさに二十世紀最後の大プロジェクトともいうべき大事業であります。